街角で、皆さんに”家庭教師”してもらっているようなもの
【DAY60】
辻立ちは愉しい。そして有難い。
何も、毎日早朝から起きだして、自分の名前を連呼するのに陶酔しているからではない。
そこでの思いがけぬ「出会い」がたまらないのだ。
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ひとこと声をかけてくれる高齢男性、笑顔を投げてくる女性、意見書をくれる大学生、囲んでくれる小学生…。
辻立ちしているうちに、色んな”出会い”があります。そして学びがあります。
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今朝は、ある一人の女性が、クリアファイルに入った2つの新聞記事の切り抜きをくださいました。
ひとつは、高齢化進む団地の活性化に、空き店舗を活用した「団地キッチン」を創り、多世代の交流の場になっているという記事。
もう一つは、高齢の両親の大怪我で家族がギスギスしかかったところに、デイケアのお陰で家族がまたうまく回りだしたという投稿記事。
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この2つの記事について、何の解説も、何の要求もついてない。
ただ、切り取られた記事が挟んであるだけ。
だから逆に、下さった方の思いが伝わってくる。押しつけがましくない、さりげない、静かな問題提起が伝わってくる。
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もしかすると、これをくださった方には、高齢のご両親がいて、コロナ禍で外で人に会う頻度が減って、体が少し弱くなって、デイケアに通い始めて助かったのかもしれないし、こういう場を作って、交流の場を作ってほしいと思われたのかもしれないし、
色んな想像が駆け巡る。
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ひとりの人生には、他人の想像をはるかに超える、深い思いや悲しみや喜びがある。
そんな人生のひとコマを、辻立ちしながら教えていただく、垣間見せていただく。
それがどれほど、僕の糧になっていることだろうか。
どれほど、生活やくらしを理解する”解像度”を上げるよすがになっているだろうか。
街角で、皆さんに”家庭教師”してもらっているようなものだ。
感謝しかありません。
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皆さん、本日もありがとうございます。
北九州なら、必ず、できる!